ピアニスト智内威雄さんのコンサートを聴きに兵庫県立芸術文化センターへ行ってきました。智内さんを知ったのは、偶然見たドキュメンタリーでした。テレビを見るなら録画してっていうのが基本スタイルな私。オンタイムで、まして夜中の番組をたまたま見たということから繋がった偶然!その番組で知った智内さんはジストニアという病気で右手を使った演奏が思うように出来なくなり、左手だけでの演奏をされているのだとか。ピアノを演奏するというのは両手でするものが当たり前だと思っており、片手で聴衆を惹きつける演奏が出来るという意味?状態?が知りたくて、テレビではなく、実際に聴いて体感したくて行きました。
で、聴いてみて、「あたりまえ」とか「思いこみ」というものが、なんとつまらないものだったのか。聴く側にとって、演奏する人のスタイルなんて関係ないのです。片手だろうが両手だろうが同じです。素晴らしい音でした。目を閉じて聴いていたら、ただただ音のシャワー。ピアノの下に潜って聴いてみたくなりました。百聞は一見にしかず…目から入ってくる情報というのは、すごいものです。でも、目を閉じて聴いた、耳からだけ入ってくる音は、私から思いこみや当たり前をとっぱらいました。たまには、目を閉じたり、耳をふさいだり…雑音無く自分の内面を見つめる機会を作らねばなんて思いました。今日はなんだか、音楽に対することよりも、人生観が少し変わったような気がします。世界は広いのです。凝り固まっちゃイカンのです。
智内さんの演奏は、片手だとか両手だとかいう事情は全く関係なく…なかなか表現が難しいのですが…とにかく素晴らしい演奏でした。必然を感じました。「左手だけで両手と変わらない演奏が出来るなんて」っていう安っぽい感動ではなく、純粋に耳から入ってきた音として素晴らしかったです。う~ん…どう書けばこの気持ちが伝わるのか難しい…。片手で演奏するというのは、演奏する側の事情であって、聴く側にとってそれが素晴らしいと思える演奏であれば、それがすべてです。
興奮して文章を書いていたらなぜか現在「高槻市」。十三から乗って淡路で乗り換えるはずが、淡路に停まったことに全く気づかず通り過ぎ。そして、高槻市から淡路へ戻ろうと、今、なぜか普通電車に乗ってる私。高槻市にも停まっただろう特急電車が追い越して行き…はてさて家に着くのは何時になるのやら…。でもハプニングを楽しむだけの余裕がある心地よい気分です。ただ、十三で買ったお土産というか私の夕飯になるハズの「みたらし団子」が冷えつつあります(^^;)
2007.7.25「左手のピアニスト」:http://prince.tea-nifty.com/moon/2007/07/post_faa1.html