装身具から考える台湾原住民の文化

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ナレッジキャピタルで「装身具から考える台湾原住民の文化」というお話を聞いてきました。
今、民族学博物館ではビーズ展をやっているそうで、ビーズから台湾原住民を知ろうという企画。
台湾って国土の半分ぐらいが山な様子。かねてから台湾って左側に色々観光地や街があるけど右側って何があるんだろう?って思ってたのです。そうかぁ〜山だったのかぁ。富士山より高い山もあるそうな。
九州ぐらいの土地の広さの中で、これまた多様な文化や思想を持つ民族がいて非常に面白かったです。

民族学博物館の企画は、女性が多いです。今回はビーズという装身具についてのお話だったので余計にそうなのかも。
先生がなかなかの爽やかイケメンおじ様で目の保養と癒しタイムを堪能してきました😊あっ・・・それで、女性が多いのかも。(先生のお顔は下記リンクでどうぞ。この写真よりもお髭がなくて、ホンワカ優しい系の先生でした💕

https://kc-i.jp/activity/chogakko/minpaku/vol05/vol02.php

今日学んできたことで印象に残ったのが「テクノニミー」という単語です。意味を簡単に理解するには「バカボンのパパ」だそうで。。。
何の話やねん?となりますが、バカボンのパパは、バカボンがいるので『バカボンのパパ』と呼ばれます。
このヤミ族というのはそういう文化を持っている?そうで、子どもが生まれると「〇〇のパパ」「〇〇のママ」という名前に変わるそうです。そしておじいちゃん、おばあちゃんになると、おじいちゃん、おばあちゃんという性による単語差がなくなるそうで、「〇〇のおじいちゃんおばあちゃん」的な、全く同じ名前になるそうです。
ちなみに初孫の名前を受けていくそうで、父側と母側が共に初孫だった場合、父側のおじいちゃん、おばあちゃん。母側のおじいちゃん、おばあちゃんの全員が同じ名前になるそうな。。。
なかなかに面白い社会システム。
そして財産分与は同等に行わねばならないそうで、ビーズ等の装飾品も子どもに同数に分け与えられる数で揃えるんですって。玉の一つずつも平等に分けるそうです。

もう一つ。そりゃそうだ!なのに考えなかったこと。
台湾ってその昔(1895年~1945年)は、日本の植民地だった時代があって、日本語しか使っちゃいけません!なんてことがあったと私たちの時代は学校で習いました。台湾に旅行に行くと年配の人は日本語が話せる人が多いっていうのはそこらへんの理由です。いきなり日本語で話せと言われて大変だっただろうなぁ~と思っていたのですが、日本語しか話してはいけません!なんて強制的ことをしたのは第二次世界大戦争ぐらいからなのだそうな。
むしろ、大混乱だったのは1945年の日本の敗戦後なのだとか。一気に北京語を公用語にします!ってことになって博物館の掲示も北京語に差し替えねばならなくなって大騒ぎだったそう。現地の言葉である台湾語じゃなく北京語になっちゃって・・・そりゃ大変だったでしょう。
日本の統治が終わって平和になったんだろうなぁ~って思っていたのですが、50年という年月の中で定着した暮らしをまた違った形に変えていかねばならなかったって、ものすごくシンドかったことだと思います。

そして、今はまた台湾語を復興させようという動きが出てきて、ドラマを見ていると、台湾語と北京語で普通に会話の掛け合いをしているという謎なシーンがあったりするそうです。私が一時期ハマった飛輪海(ふぇいるんはい)という台湾アイドルも台湾語が少しだけ話せる人って人が一人だった気がします。。。

今日の講義は台湾文化がかなり身近になりました。華流ドラマを通じてしか台湾を見ていなかったのですが、もっと興味を持って台湾という国のことを知りたいなと思いました。

あっ、台湾は国連に加盟していないので、世界遺産の登録が出来ないんですって。